河上彦斎の子孫 息子 彦太郎と孫 利治 そして現在の河上家

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「幕末の四大人斬り」の一人として知られる河上彦斎。「人斬り彦斎」と後世に名を残し、るろうに剣心の緋村剣心(人斬り抜刀斎)のモデルの一人とも言われています。

佐久間象山を斬った人物として知られる彦斎は、明治4年に処刑されました。彦斎の物語は、そこで終わってしまいますが、では、その家族はその後どうなったのでしょうか。家系は続いているのでしょうか。

河上彦斎の子孫について調べてみました。

彦斎には妻・天為子との間に息子の彦太郎がいました。そして孫の利治へと家族の歴史は続きました。現在も、河上彦斎の子孫として紹介されている方が京都で居合に携わっています。

河上彦斎には子供がいた

河上彦斎には妻・天為子(てい)との間に、息子の河上彦太郎がいました。彦斎は明治4年12月4日(新暦1872年1月13日)に処刑されましたが、河上家の血筋がそこで途絶えたわけではありません。彦斎の妻・天為子は、遺された息子の彦太郎を育てました。のちに孫の利治にも和歌を教えたとされます。彦斎だけに注目していると見落としがちですが、次の世代へ家族の記憶を伝えた人物として、その妻、天為子を通じて、彦斎の記憶は子や孫にも伝わっていきました。

息子 河上彦太郎

彦太郎は、彦斎の死後も明治以降の時代を生きました。息子の利治が残した「龍洞雑記」には、国内各地での遊説や、大陸・台湾での活動についての記述があります。彦太郎の歩みを詳しく紹介するには、この記録の原文と関連史料をさらに確認したいところです。

孫 河上利治

彦太郎の子として生まれた河上利治は、彦斎の孫にあたります。利治は祖父に直接会うことはできませんでしたが、祖母の天為子から和歌を学んだことが、利治自身の記録を引いた研究で紹介されています。

河上彦斎 → 河上彦太郎 → 河上利治。この三代までは名前を挙げてたどることができます。

河上彦斎の子孫は現在もいるの?

「神風連.com」の河上彦斎人物伝には、彦斎の子孫である河上氏から情報を提供されたと記されています。同サイトは、その方が京都で無双直伝英信流と神道幡蔭流の居合道場を営んでいると紹介しています。

彦斎から数えて何代目か、利治とどのような続柄かまでは確認できませんでした。

一方、京都での居合道場の活動は紹介されています。

彦斎の剣術も受け継がれたの?

彦斎が「片手抜刀の達人だった」「低い姿勢から斬り上げた」といった伝承もありますが

本人が無双直伝英信流や神道幡蔭流を学んだ、あるいは彦斎の技がその二流派として代々伝わったとは確認できませんでした。現在の流派と同一視することはできませんが、

「幕末の四大人斬り」の子孫が今も居合に携わっている。歴史を感じます。興味深い話ですね。

まとめ

彦斎は処刑されましたが、妻・天為子と息子・彦太郎、孫・利治へと家族の歴史は続き、そして現在も、彦斎の子孫として紹介されている方が居合に携わっています。「人斬り」という呼び名の先にある家族の歩みも、彦斎を知る手掛かりになるかもしれません。

参考資料と公開前の確認

神風連.com「河上彦斎人物伝」

T.TANIUCHI「河上利治論③ 祖父河上彦斎」「河上利治論④ 祖母の教育」「河上利治論⑤ 父彦太郎のこと」(「龍洞雑記」を引用した研究)

本文中の「龍洞雑記」に基づく記述は、公開前に原文との照合を推奨します。

お辞儀をして挨拶する白狐のこはく

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