
河上彦斎と同じく幕末4大人斬りと言われている岡田以蔵。「人斬り以蔵」という呼び名があります。その岡田以蔵にも最期に詠んだとされる歌が伝わっています。
君が為 尽くす心は 水の泡
消えにし後ぞ 澄み渡るべき
歌の意味はどう解釈すればいい?
以蔵本人が意味を説明した言葉ではありませんので真意を確かめることはできませんが、
大まかには「君のために尽くした心は水の泡のように消える。しかし自分が消えた後には、澄み渡るだろう」と読めます。
「水の泡」からは努力が報われなかった無念。そして「澄み渡るべき」は、死後に自分の真意が分かるはずだという願いとして読むことができます。
では、「君」って誰の事を指すのでしょう。岡田以蔵は、武市半平太が率いる土佐勤王党の同志として、幕末の尊王攘夷運動に関わった人物です。幕末の尊王の志士が使う「君」は、天皇を指すこともあります。では、岡田以蔵のこの歌の「君」も、天皇と読むことができるのでしょうか。
しかし、現在では「君=武市半平太」とする解釈がよく見られるようです。実際のところはどうでしょうね。事実は本人しかわからないことなので断定することはできませんがそれぞれの解釈について思いを馳せてみました。
岡田以蔵と辞世の句
岡田以蔵は土佐に生まれ、武市半平太(瑞山)のもとで剣術を学びました。土佐勤王党に加わり、幕末の「天誅」と呼ばれる事件に関わった人物として知られます。のちに捕らえられて取り調べを受け、慶応元年(1865年)に斬首されました。
その辞世として佐佐木高行の記録『保古飛呂比』では「君か為 盡す心は 水の泡/消にしのちぞ すみ渡るへき」として紹介されています。
君を武市半平太と読むと
以蔵と武市の師弟関係や土佐勤王党での活動を踏まえると、「君」を武市と考える読み方があります。この場合は「あなたのために尽くしたが、その思いは水の泡になった。それでも死後には自分の本心が明らかになるだろう」といった、武市への個人的な思いを込めた歌になります。
以蔵は捕らえられた後、取り調べで関係者について供述し、武市との関係も厳しいものになりました。
そのため、「君」が武市を指すとすれば、師への忠誠だけでなく、関係が悪化する中での報われなかった思いや無念を読み取ることもできます。
君を天皇と読むと
幕末の尊王の志士が用いた「君」は、天皇を指すことが多くあります。土佐勤王党が尊王を掲げていたことから、この歌でも「君」を天皇と読む可能性も考えられます。
その場合は「天皇のためと信じて尽くした志は水の泡になった。それでも、自分が消えた後には志の意味が明らかになるだろう」という読み方になります。武市個人との関係より、尊王という目的に重心を置く解釈になります。
二つの読み方を比べてみる
武市と読めば、師と弟子の間に残った思い。天皇と読めば、尊王の志に尽くしたという思いが前面に出ます。同じ「水の泡」でも、前者では武市との関係の中で報われなかった努力、後者では信じた大義のための行動が実らなかった無念として響きます。
しかし、歌の言葉だけで「君」を特定することは難しいでしょう。「君=武市」か「君=天皇」か、実際には、本人のみぞ知ることですが辞世の句に込められた思いを考えるのは楽しいですね。
まとめ
岡田以蔵の辞世の句の「君」は複数の解釈ができます。武市半平太と読めば一人の師への思い、天皇と読めば尊王の志への思いが見えてきます。「君って誰なのだろう」。その疑問を持ちながら読むと、「人斬り以蔵」という呼び名だけでは見えない、複雑な最期の姿を考えるきっかけになります。

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